先人の海外貢献を通して日本人を知る

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海外から見た日本を知る

こんにちは

ぶれぶさんです。

ぶれぶさん
ぶれぶさん

貴方は海外旅行が好きですか?

今はコロナの影響で海外旅行に行けなく残念な思いをしている方も多いですよね。

今50代の方は海外旅行に20代や30代に行った経験がある方が多いのではないでしょうか?

海外旅行にいってこんな経験ありませんか?

今まで知らなかった日本とその国の関係を知る事ができたり

 学校で習ったことのない歴史を知ることがあります

 私は日本は外国に悪い事をしてきた国。そんなイメージがありました。だからかな?日本の歴史にも興味がもててなかった。

ぶれぶさん
ぶれぶさん

海外を旅するって自分を知るきっかけになるんだよ

今50代のぶれぶさんが1990年の後半20代にオーストラリアに初めて来たとき、

第二次世界大戦で日本の先人がオーストラリアを空爆していたことを知りました。日本がオーストラリアまで来ていたことにびっくりしたのを覚えています。
そんなこと学校で習ってなかった。

歴史って書いてる人がどの位置から見て書いているか?によって違うんだということを知ったんだよね。

 2013年初めて台湾に旅行に行った時、ここで台湾人の添乗員さんが話してくれた日本の先人と台湾の関係を初めて知って、台湾人のこの添乗員さんから見る日本の先人についてを聞いたことが感動しました。

私は日本の先人が他国に貢献していたことについて知らないんだな?って思ったのです

日本と他国との関係を調べていく中で、先人に感謝し、誇りに思っています

っています

今海外に生活して思うのは先人が他国に対して善い行いばかりをしてきたわけではないとは思うもだけど、先人が自分の国だけでなく他国の助けをし貢献や感謝されていたことも私達日本人は知っておきたいと思い紹介します

目次

日本の先人の功績

1台湾と日本
2トルコと日本
3アルメニアと日本
4ブルネイと日本
5まとめ

1台湾と日本

ぶれぶさん
ぶれぶさん

台湾と日本の関係について紹介

台湾と日本の歴史的背景

 1895年から1945年、中国は敗戦のために台湾が日本の領土になりました。

 この50年間台湾を日本統治がすることになった時代です。台湾を日本が統治している間に、日本のご先祖さんは台湾に鉄道などの交通手段や農業など経済の発展に貢献したと伝えられています。

 ところが第二次世界大戦、日本の敗戦で台湾は中国に返されています。台湾の国民は日本から本国に戻ったことで喜んでいる人も多くいたそうです。ところが1945年の終戦の2年後1947年中国に戻ってから台湾で大事件2・28事件が起きたのです。

 2・28事件は、中国が台湾の政権を握るはじめることで、台湾の中が治安が悪くなり。中国の政治家による汚職への不満が募っていく中で起きた反中国政府への事件。この中で台湾人が2万から4万人中国人に殺されたといわれています。知識人や権力者を殺害することで中国は台湾の弾圧に成功し、1980年代までこの2.28事件について話すことができない状況でした。

台湾映画 悲情城市 で描かれています

台湾に行った時、台湾人の添乗員さんが話してくれたことは、台湾人は日本の統治時代そして中国統治時代を経験し日本統治の時、日本人は台湾のために、色んな貢献をしてくれたことなどに感謝しているという話を聞きました

台湾と日本の現在の協力

 2011年の東日本大震災の時

①台湾から200億円を超える民間からの寄付金が送られました。地震の直後チャリティ―番組を通して市民からの寄付が集まり多額の寄付が日本に送られました

②3日後に台湾から救援部隊がきた被災地を回って炊き出しをしてくれた

③台湾の財団法人「佛教慈済慈善事業基金会」が被災地を回って食事をふるまい現金の支援をしてくれていた

下記の記事に詳しく書かれています

東日本大震災での「台湾からの支援」が圧倒的だった2つの理由
東日本大震災が起きた後、台湾から200億円の義援金が届いたことを覚えている人は多いだろう。だが、台湾からの支援はそれだけではなかった。台湾人たちが被災地でどのような支援をしていたのかを紹介するとともに、多額の義援金を集める台湾の制度について解説したい。

これ以外にもコロナでマスクを台湾から支援してもらったり、日本から台湾へコロナのワクチンを送ったり助け合いが続いています

2トルコと日本

ぶれぶさん
ぶれぶさん

トルコと日本の関係について紹介

トルコと日本の歴史

 明治23年(1890年)トルコから日本に親善使節団派遣656人がエルトゥールル号に乗って日本に来ました。

エルトゥールル号遭難事件が、その帰り和歌山県東牟婁郡串本町で起きました。エルトゥールル号が台風に遭遇し、船に海水が流入しエルトゥールル号が爆発し、587名が遭難、行方不明になり69名が生き残りました、串本町の人達がエルトゥールル号の生存者の介護、殉職者の遺体の捜索などしました。1ケ月後トルコに向けて69名がイスタンブールに向けて出港し戻っていきました。

 トルコの人は、その時の日本人の対応に感謝をしてくれていたのです

トルコからの協力

 トルコの航空機が日本人を救う

 1,985年イラクイラン戦争の中起きた問題 、イランの大統領サダムフセインが出した声明 『今から48時間後に、イランの上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する』が発表されました。イランにいた日本人はすぐに空港に行き飛行機に乗ろうとしましたが空席がなく、216人が飛行機に乗れず困っていました。

 日本から援助の飛行機も出ず途方にくれていた日本人を助けてくれた国がトルコでした。トルコの航空機が日本人のために飛行機を出してくれました、エルトゥールル号の恩返しをしてくれたというのです

本州最南端の町 串本町

3アルメニアと日本

ぶれぶさん
ぶれぶさん

アルメニアと日本の関係を紹介

アルメニアの歴史

 1915年第一次世界大戦トルコ系のオスマン帝国は領土内に住む異民族をイスラムに改宗するよう圧力をかけていました。そしてイスラム系に改宗しない人たちに弾圧を加えていました。

イスラムに改宗をするように圧力をかけられていた中に、アルメニア正教を進行しているアルメニア人がいました。彼らも弾圧を加えられ逃亡生活を送っていました。その中で多くのアルメニア人が無くなり、親の居ない孤児たちが増えました。

アルメニアと日本との交流

日本では渋沢栄一がアルメニア救済委員会を設立し寄付を募り9000ドルの資金を送っています。2,021年東京オリンピックでサルキシャン大統領が渋沢栄一のひ孫に感謝メダルを送っています

渋沢栄一、難民救済の祖 アルメニア孤児に義援金:東京新聞 TOKYO Web
二〇二四年度から新一万円札の「顔」となる実業家渋沢栄一は、日本で国際難民保護に取り組んだ最初の人物だった-。百年前、オスマン帝国(現在...

 

4ブルネイと日本

ぶれぶさん
ぶれぶさん

ブルネイと日本の関係について紹介

ブルネイの歴史

第二次世界大戦の1942年から1945年までブルネイは日本が統治していました。その頃は貧しい国の1つの国でした。日本が統治する前はイギリスが統治。そのあと日本の統治になりました

ブルネイと日本の交流

 日本の統治の時、日本から木村強がブルネイ県知事として着任しました。

木村氏は貧しい国だったブルネイを今の裕福な国になるためのお手伝いをしたといわれています。ブルネイの人を大切にし、国王を尊重、日本の発展のためでなく、ブルネイの発展のために働きました。

2011年東日本大震災の時にはブルネイ政府から100万米ドルの義捐金や、民間から多数の支援を受けました

まとめ

自分を知りたいと思うと、自分の生まれた環境や生まれた国の背景からの絵愛嬌があることがわかります。

今回は日本はどんな国なのだろう?また先人の日本人を知っていくうちに知った他国とのかかわりについて調べてみました。

第二次世界大戦終戦前の先人の生き方を海外との関わりの中で学びました。先人の日本人は自己中心的ではなく人や自分の関わった人や国を大切に関わる人達が多かったのではないか?と

このように自分探索がそして日本という国を見つめなおそうと思ったきっかけがあります.

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